結婚という概念を手放す。
私は多分、「結婚」を自分の中に落とし込めない障害なのだ。
いや、障害というより遺伝子。
ただ、日本社会において不都合があるため、障害なのだ。
結婚だけじゃない。
社会のあらゆるもの。
生活に必要なものだけ、仕方なく落とし込んで生きている。
その一つ、結婚については、最近になってやっと完全に手放すことができた。
したくなくてもしなきゃいけないのではないか。
一生一人で生きていけるのか。
生に執着しない(いつ死んでもいい)のは、孤独だからではないか。
そう思っていたけど、竹内結子さんが自死されてから、上書きされた。
結婚して、夫も子供もいても、死にたくなるなんて。
遺伝子レベルで、結婚しない方がいい種類の人は一定数いると思う。
竹内さんの心情はまったくわからないけど、
彼女の生い立ちからすると、私が彼女の立場なら結婚願望などハナからないだろう。
私も両親を見ていたからこそ結婚願望がない。
生きていく上で男を必要としない。したくない。
血の繋がりはなくとも、子供やペットなら一緒に生きてもいい。
男はいらない。自分の人生を無駄に消耗されるだけだ。
竹内さんは、親からの愛に飢えていて渇望していたから、家族を作りたかったのかもしれない。
でも、手に入れた「家族」に対して常に嘘(本当は願望・素質がないのに良き妻、良き母であろうとする)があって、正しくあろうと努力すればするほど、本来の自分を殺すことになり、自分の作り上げた理想像(偽りの姿)に取り殺されてしまったのではないか。
私は一度、婚約したことがあったけど、正直まったく実感がなかった。
本当は結婚をしたくなかった。けど、求められるからしてみようと思った。
でもやっぱり、自分に嘘はつけなかった。
したくないものはしたくない。
どこかに誰かに属するのが嫌だ。
支配されるのが嫌だ。
立場(妻、嫁、母等)のために自分を殺すのが嫌だ。
私はその立場である間は、立場を全うし、求められるようにやろうと努力し疲弊してしまうだろう。それが目に見えていた。
超不器用なのだと思う。
妻になって夫の稼ぎで暮らしていけるなら楽かもしれない。
でも、私には、それは足かせにしか思えない。
だったら、最低限でもいいから、自分で稼いで自由に生きたい。
辛い思いをしても、自分のせいだから納得できる。
私が結婚したら、自分だけでなく、夫やその家族らにも嫌な思いをさせてしまう。
そうとしか思えなかった。
竹内さんが同じとは思わない。
けど、結婚はしなくても幸せになれたと思う。
子供がいるし、それだけでよかったと思う。
再婚していなければ、多分自殺することはなかったと思う。
再婚相手が悪いわけではない。
結婚が合わない人がいるのだ。
世間体のために結婚したら、自宅にいても嘘の顔で生きなければいけない。
心を病んで破綻するのは当然だ。
「結婚するのが当たり前」
この社会通念の重圧に苦しむ人が多いと思う。
そんなもの手放していい。
他人になんと思われようが、自分の人生は自分のものだ。
他人が責任を取ってくれるわけじゃない。
自分の心に正直に。
他人から見たら辛く寂しく見える選択でも、自分が幸せならそれでいい。
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結婚が悪いというわけではない。
したい人はすればいい。
結婚をする・しないの選択肢があって、どちらも同じ市民権を得るべきだと思う。
「結婚しないのは悪」という風潮、制度が理不尽である。
フランス人に生まれるべきだった。