40で生まれ変わる

40才からの楽で気ままな生き方を模索するブログ

働きすぎないでください  ~ベニシアさんは今…~

ベニシアさんは今どうしているんだろう?

 

ふと、そう思い、いくらか検索してみると、2021年7月から介護施設に入ったそうだ。

数年前から後部皮質萎縮症(PCA)という病気のため、視力が低下し、今はもうほとんど見えない(ときどき少し見えたりする)そうだ。

記憶障害もあるらしい。

もう70代だから、老化もあるだろう。

今の70代の平均と比較すると、やや重症でありそうではある。

 

www.youtube.com

 

この動画の最後の方、「みなさまに伝えたいメッセージは?」と聞かれ、しばし考えた後、こう答えた。

 

「働きすぎないでください」

 

ベニシアさんとしては、それが今の病状の原因であると思っているらしい。

 

人のためにと、毎日がんばって忙しくしていたベニシアさん。

それが仇になってしまったのだろうか。

がんばってきた自分を後悔したとすれば、皮肉である。

 

この動画は、介護施設に入所する直前なので、いろいろ不安と後悔が大きくなっているのだろう。

そんなとき人は、不本意な言い訳や結論付け、後悔などをしてしまう。

 

しかし、「働きすぎない」ことは大事なことと思う。

完璧主義でまじめな人ほど、落ち込んだときの落差が激しい。

元気なときはいい、しかし、いつでもいつまでも元気ではいられない。

まじめな人ほど、何もできない自分に落胆し、軽蔑し、受け入れられず、責め立ててしまうのではないか。

あのキラキラした毎日があったからこそ、今の何も出来ない不自由な自分には存在意義がなく、つまらなく悲しい、ただ生きているだけの日々。

生きる気力がなくなると、動かない、食べない、寿命は途端に短くなるだろう。

 

ベニシアさんには、大事にしてきた家族、友達がたくさんいるので、みんなが支えて励ましてくれる。

だからそこまでひどくはならないかもしれない。

人からの助けによって引け目にならず、感謝することに前向きになれば、気持ちも変わるかも。

 

本人にしかわからないけど。

気持ちの切り替え次第。

 

介護施設に入る という話になったとき、とても抵抗したそうだ。

死ぬまでこの家で暮らしていきたい、今まで世話してきた家族が今度は世話をしてくれるはずだ

と思っただろう。

実際は、仕事や生活を優先したい旦那さんや子供たちには、それは無理だった。

それは全然責められることではないし、みんなが生活しやすいように環境や方法を変えるべきだ。

でも…、もし自分がベニシアさんだったら、今までの苦労は何だったの?と思ってしまいそうだ。

しかし、一日中、誰かの支えがないと生活ができない状態を自覚すると、ワガママは言えない。

相手の生活も尊重するからこそ、自分は施設に入って、別々に生きていくしかない。

 

死ぬまで元気で、ある日突然ポックリ死ねたら一番いいんだけど。

病気やケガで自立した生活ができなくなると、回復しない場合、そこから死ぬまでの間が苦しい。

自力で生きていけないのは辛い。

 

家族がいれば、まだいいだろう。

でも、私は、家族だからこそ、そういう苦労をさせるのが辛い。

母親も兄弟も私も、世話好きではない、それを自覚しているからだろう。

自分がしたくないことを、近い人にさせるのはちょっと考えたくない。

 

独身は不安だけど、いざ、どうにもならなくなれば、迷いなく社会福祉に頼る選択ができる。

お金があれば施設を選んで悠々自適に暮らせるだろう。

お金がなければ、介護や生活のクォリティが低いことにも我慢しなくていけない。

 

私の場合、今も結構質素で贅沢はできるだけ排除している(贅沢したいとあまり思わない)ので、普通の人よりは耐性があると思う。

とはいえ、介護施設で「死んだ方がマシ」な生活になったら、がんばらなかった自分を後悔するかもしれない。

お金は稼いでおきたいなぁ。

 

働きすぎることはないだろう。

かといって、それが老後の幸せになるかは、人次第。

働きすぎて、病気に気づかず、ある日ポックリ だったら、私なら幸せかもしれない。

とにかく、死ぬ瞬間や早死よりも、心身障害が起きてから死ぬまでの不自由で不快な期間が辛い。

長生き=幸せ ではない。

 

後部皮質萎縮はアルツハイマーと似ているらしいが、

後部皮質萎縮とアルツハイマー病の2つの認知症型では認知機能の低下が異なり、前者は視力に先導され後者は記憶に先導される

ということで、別物らしい。

どちらも老化で起こるらしい。

 

「後皮質萎縮症(PCA)は、最初に、対象の老化、貧血、アレクシア、環境の老化およびバリント症候群を含む、より高い視覚機能の障害によって支配される神経変性疾患である。 言語、記憶、洞察力、判断力はコース終了後まで比較的保存されています。」

 

ということは、目が見えない状態で修行する、悟りを開く、より高い思考・哲学を得る

と思えば、やや前向きになれるかもしれない。。

 

体の細胞が営みを終えるまで、どれくらい、これからまたがんばり続けるのだろう…

不自由になってからの長生きはしたくない。

 

「脳が司令塔で、脳が死んだら生命は終わり」という定説も覆っている。

各臓器はそれぞれで司令して生きているらしい(説明がうまくできないけど)。

ただ、血液(酸素)の供給がなくなれば、体は全部すぐに死ぬ。

 

そして一方で、安楽死を求める声も起こっている。

自分が死ぬ頃は、死の扱い・常識や老後の生活はどうなっているだろう?

遠い未来ではないが…

 

認知症は、働きすぎは、正直関係ないと思う。

働きすぎる人は、働くのが好きなんだから、好きに生きていいと思う。

できなくなったときショックだろうけど、ひたすら本でも読んで、脳を働かせればいいと思う。

ベニシアさんは目が見えないから自分で読めないのは辛いだろうな。

この年で点字を覚えるのもなかなか難しいだろうし。

記憶障害系のアルツハイマーだと、そもそも本をまともに読めないかもしれない。

それもまた辛い。

認知症になる前に死にたい。。