40で生まれ変わる

40才からの楽で気ままな生き方を模索するブログ

私のめんどくさい性格。

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お盆も中盤。皆様、どうお過ごしでしょうか?

もうすぐお盆休みも終わっちゃいますね。ウヒヒ・・・

 

なんてね。

私は相変わらずひきこもっています。

8月は遊ぶぞ!なんて宣言してしまったからなのか、本当に何もせずネットしたり海外ドラマを見たり。

を見ました。

どれもおもしろい!一気に見てしまいました。

 

ただ、こんな自堕落な生活をしていると、自分が何のために生きているのか?なんて疑問がたびたび湧き起こってくるのです。

実際は「何のために」という言葉ではないのですが。

なんだか意味ないなー と。

生きるのに意味なんてないのですが。

 

子供を産んでいたら、きっと子供のためにいろいろやってたんだろうな~ とか。

自分のためにって、動機づけとして弱いんです。

ごはんを作るにしても、適当でいっか といい加減になってしまいます。

店でいろいろ材料を買ってきても、処理や料理がめんどくさくなってしまったり。

そんなとき子供がいたら、何も考えずに流れ作業で作ってしまうでしょう。

掃除でもなんでも、家事全部がそうなってしまいます。

 

それがあまりにも続いているので、自分の中でストレスになっています。

やらなきゃと思いつつ、後回しにしたり、やらずにいたり。

そして、そんな自分を責めているのです。

特に部屋が汚れていると目について、モヤモヤします。

すぐにやればいいのだけど、今じゃなくていいか、他のことしたいし。となってしまいます。

 

もう限界になっています。

そろそろ一気に片付けないと。

 

そして、その停滞した気持ちは、生理的なものも関係していて。

生理前が一番鬱々とします。

生理が来ると、霧がパッと開けてきます。

 

仕事をしているときは、あまりそういうことに左右されません。

仕事で一杯一杯だから。

暇だと余計な思考に支配されてしまいます。

暇すぎは良くない。

でも仕事だけの時期も好ましくない。

ほどよいペースを自分で作り上げないといけないのですね。

 

母は来春から仕事が無くなるので、やばいかもしれません。

やることが無くなり、気が抜けてしまうのではないだろうか。

今も、仕事以外でも草むしりとかゴミ拾いとか一人でボランティアをよくしているそうです。

わざわざ原付バイクで(70歳です)街まで出ていって、お城のお堀の景観美化に努めています。

前に一緒に街を歩いていたとき、「あ、ここも生えてきてるな。こないだ抜いたんだけど。抜きに来なきゃ。」って。

いいことをしたいとか言うよりも、趣味なんですよね。

何かしてないと落ち着かないのかな。

 

で、そんな母は、家ではというと、特に何をすることもなく、最近まではスマホのゲームにハマって、暇があるとベッドに寝転がってずっとゲームしていました。

あの母がゲームにハマるとは・・・。

といっても、簡単な無料パズルゲームです。

でもこないだ、ゲーム全部削除したそうです。

じゃぁ何をしてるんだろ?

前は図書館で本を借りて読んだり、テレビショッピングにハマっていたけれど。

 

というわけで、来春からの母のことがちょっと(かなり)気がかりです。

て、私も結構やばい状態ですけど。

私はお金無くなったらちゃんとするので大丈夫です^^;

 

やっぱり仕事がないと張り合いがないと思うのです。

何か誰かの役に立っている という実感もないと。

恐らく暮らしは年金と貯金でやっていけるのだろうとは思いますが。

いざとなれば私たちのために取ってある満期保険を受け取ればいいのだし。

私はこの保険については、「自分のために使え」と常々言ってあります。

母は昔から保険に入っていましたが、結局大病もせず、ほとんど使うことはありませんでした。

一度、バイクでこけて怪我をしたときに、保険金が下りたのかな?

でも、入院もしてないし、たいした額ではないと思います。

 

それを見ていたので、私は、保険なんて必要ないものだと思って、何も入ったことがありません。

賃貸用の火災保険くらい。都民共済で月数百円の安いやつ。あれも何も使うことはなかったですけどね。返戻金で年に数千円戻ってきたり、良心的でした。

普通、賃貸の保険は、不動産屋が勝手に付加させてきますが、「自分で入るから」と言えば、大家さんがいい人なら応じてくれます。

 

子供がいなければ保険なんて不要と思っています。

病気や怪我で入院となると、やはり保険は有用ですが、自分はそうならない!という妙な自信があって、加入しようと思ったことがありません。

何かあれば、その掛け金相当で賄えるだろうと思うし。

保険が意味があるのは、加入してすぐ(すぐすぎてもダメだが)に保険金が下りることにある と思うのです。

あとは、いざというとき(自分が死んだとき)、残された人のために。

 

そんな自論で、今までやってきました。

多分、ずっと健康な母を見て、そう思ったのですね。

母も「保険なんて入らなくてもよかった」と言ってますし。

母は昔、保険の外交員もしていました。保険には詳しいです。

 

さて、来春からの母を、どうしたらいいだろう?

やっぱり考えないといけないだろうな。

兄の家に入るのが一番妥当なのだけど。兄もそのために家を建てました。

けど、母と兄嫁の仲が悪く、母が嫌がっています。

となると・・・私?うーん。

 

私と母も正直、仲は良くありません。

良いふりをしているけど。

母曰く、母と私は似た者同士だそうで。

お互いにちょっとしたことでカチンと来て、険悪になるんですよね、いまだに。

一緒に暮らすのは、正直、イヤです。

でも心配。

 

それに母は、今の住まいを終の棲家と思っていて、出たいとは思っていません。

近くに母の兄弟もいるし。よくみんなで集まっているそうです。

それがあってよかったと、ほっとしています。

私の兄弟は皆仲が悪く、家を出てからほとんど会っていません。

私は兄にいじめられていたので心を開くことはありません。

兄の3人の子供にも会ったことがありません。

妹もどこで何をしているやら知りません。

母が教えてくれるのですが、正直どうでもいいです。

 

私が一人が好きなのは、こういう家族の中で育ったからだろうなと思います。

誰のこともアテにできないし、したくもない。

親戚ともほとんど会っていません。

母だけが、それぞれとの交流があり、パイプとはなっているけど、繋いではいない。

母はそれをちょっと残念がりますが、母自身が、そういう繋がり(親戚付き合いなど)を持たせないようにしてきたので、仕方ありません。

例えば、親戚(従兄弟とか)の結婚式に、私は出たかったのですが、お金もかかるし迷惑だからと、子供は連れていかず、母だけが出席していました。

私がお墓参りに行きたいと言っても、親戚に気を遣わせるからとめんどくさがって嫌そうでした。

 

だから、私は結婚というものが何かよくわからなかったし(母は離婚しているので)、男親の必要性も知らないし、先祖を敬う気持ちも無くなりました。

家族の繋がりというものを実感できませんでした。

そしてずっと自分一人で生きているので、尚更今更、他人に頼るとか支え合うとかいうことの必要性を感じられなくなりました。

 

完全にそうなったとは思っていませんが。

誰かと関係ができれば、どっぷりと浸かってしまうと思います。

本当はそういう繋がりを切望しているのです。

でも、諦めているのです。

 

親兄弟はいるけど、天涯孤独です。

母のことも心配だけど、どこかでそんな母を自業自得だと思っていて、私も同じ道を辿るのだから、自分でがんばってほしい と思っています。

母の気持ちは聞いていないのでわかりません。

聞いたら、多分責任を負わないといけないので、なかなか怖くて聞けません。

 

人と一緒に生活するって、楽しいことも多いですが、面倒や責任も何倍にもなります。

私はそれを背負うのが怖いのです。

一人が気楽というのは、毎日の生活や仕事など自由だけではなく、責任から開放されることが大きいのです。

だから、結婚して、子供を作って、家庭を築くという、キラキラして幸せそうな安定した状況の反面、家族を養う、面倒を背負う、果てしない重い責任と、いつかその愛する人を失うという怖さがつきまとう状態に、みんなよく耐えられるなぁ と、他人事のようにしか思えないのです。

私は相当なビビりなのです。臆病者です。

 

ウォーキング・デッド、フィアー・ザ・ウォーキング・デッド、ファーゴなどのドラマ、いずれにしても、家族というものが強い絆でパワーの源、原動力ではあるのですが、反面、最大の弱点でもあります。

家族の危機に右往左往し、家族の言動で自分らの命を危険に冒すことになります。

家族がいなきゃいつでも無敵なのに。

強いキャラは、大体天涯孤独です。

家族がいるからこそ最強になったキャラもいますが。

家族が敵に捕まったりやられたら、最強の主役も泣きそうになっています。

 だから、ウォーキング・デッドでも、ダリル、キャロル、ミショーンなどの孤独最強キャラが大好きです。

いずれも元は愛する家族がいたんですけどね。

家族(仲間)を助けるために自分や仲間を危険な目に遭わせるリックやマギー、グレンはちょっとウザイとすら思ってしまいます。

だからキャロルが「愛する人ができると失うのが怖い」と言って一人出ていってしまうのは、とてもよくわかります。キャロルが一番好きです。でもまた戻ってくるんですよね。また仲間のピンチを救うんだろうな。そういうところも好き。(笑)

フィアー・ザ・ウォーキング・デッドはそういう家族のドロドロがもっとリアルで、そこがとてもおもしろいです。ファンタジーな世界の本家よりも感情移入します。

 

話を自分に戻します。

以前に婚約したときも、その責任の重さに押しつぶされそうになり、ノイローゼの一歩手前だったと思います。

やめたいやめたい と毎日つぶやき、そして、あるきっかけでやめました。

やめた理由はそれだけではないですが。後悔はないです。

 

結婚したくないわけではありません。相手によります。

私と同じような覚悟を持っている人じゃないと、多分無理です。

一度結婚したなら、投げ出しません。腹をくくります。

あと、天涯孤独な人がいいです。責任が多いのは無理です。

 

・・・あ、何の話してたんだっけ?

 

お盆だからか。

 

私はお盆も正月も、実家に帰らないです。

移動ピークだからというのもありますが、先人が決めた「日」の意味に、自分は意味がないと思っているからです。

盆正月も誕生日も、普通の日となんら変わらないと思っています。

罰当たりかもしれませんが。

ピークを外して帰省することはあります。

 

結婚式の、無宗教のくせに教会で誓いとか、ウェディングドレスとかも、ばかばかしいと思うし、冠婚葬祭や行事なんて業者に踊らされてお金を使わされているだけとしか思えず、お祭りに心から楽しめたのは、子供のときまでです。

あのときは何も知らずに、ただ、お菓子がもらえるのが嬉しかっただけです。

反面、そういうキラキラしたことに憧れを抱いているという矛盾もあります。

 

なんてめんどくさい思考なんだろう。

素直に楽しめばいいだけなのに。

いつもどこか冷めています。

 

でも、そういう考え方の人は、わりといたりします。

楽しんでいるフリをしている人も。

私は不器用なので、最初から避けてしまいます。

 

こないだの、同級生飲み会はやはり欠席しました。

出席率は過去最低だったようで、30人近く誘った結果、出席は幹事含め8人だったようです。

来る人は毎回同じ人です。

 

それに懲りずに、また飲み会のお誘いがありました。

例の、私が下請けをしている会社で働く同級生Aさんが幹事です。

毎年恒例の、浴衣飲み会です。

夏に浴衣を着る口実が欲しいんだろうな と思います。

 

その飲み会は、毎年大体メンバーが決まっていて、同級生以外も少しいたり、あまりアクが強い人(根掘り葉掘り聞いてきそうな人)もいなさそうなので、行ってみたいなという気もします。

Aさんとも、プライベートで飲みたいね と言われていたので、行った方がよさげかな。

多分、Aさんは、私が来る来ないはあまり気にしないと思います。

サバサバしてて、どんなに私が付き合い悪くても、変わらず接してくれます。

年賀状も毎年くれるのに、返事が遅れたり、返事しなかったり(年賀状も無意味と思っていますので…)、ついには、「もう年賀状廃止するので」とお断りしました。

こんな私に変わらずいてくれる・・・殊勝なお人だ。

 

正直、Aさんはちょっと苦手な部分もあるのですが(ちょっと怖い部分もある)、いろいろ話したいなという気持ちもあります。

同じ独身でもありますし。

Aさんはなんで結婚しないんだろう?不思議。

 

浴衣を着る手間がネックですが、行ってみようかな。

着付けができないのですが、街にレンタル着付け屋があって、持ち込みだと安く着付けだけしてくれるそうです。

高校の体育祭で最後に盆踊りがあって(なぜかw)、そのときに買ったものなので、合うかわからないですが・・・ちょっと出して見てみようかな。穴とか汚れあったらいけないし。

 

私の趣味は昔から渋くて、みんなが浴衣らしいかわいい花柄を選ぶ中、オリーブグリーン一色に黒の線で大きな花柄パターンを描いた、現代的でシンプルなものを選びました。帯は鮮やかなグリーンで。大人っぽいです。

もう一度着てみたいとは思っていました。

着てみようか・・・^^

いずれにせよ、返事しないと。

 

なんだかんだ、お誘いはうれしいですし、気楽に行けばいいんですよね。

いちいち考えすぎてしんどい。めんどくさい性格。