40で生まれ変わる

40才からの楽で気ままな生き方を模索するブログ

非常勤講師の話。

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ここ数週間、悩んでいた。

これからについて。

 

絵の教室のA先生から「短大の非常勤講師をやらないか?」と打診があった。

条件は、芸術系の学士と、美術の教員免許と、修士の資格を持っていること。

私には一応芸術系の学士はあるが、他の資格がない。

 

それで、教員免許と修士を取る方法を調べていた。

短大の担当准教授(B先生 アラフィフの女性)は「某教育大学で2年で両方取れる」と言うのだが、実際にその大学に問い合わせると、そんなことは無理だった。

順当に、学部に編入して(または通信大学などで)教員免許を取り、それから大学院に入って修士を取るしかない。

その教育大学では、修士課程を受ける条件が「教員免許一種を持っていること」なのだ。

言われてみれば、それは当然だ。

そもそも、学部と大学院に同時に在籍することはできないらしい(大学による)。

通信大学なら同時でも出来るらしいが、それも大学による。

修士課程をこなすだけでも時間を取られるのだから、しっかり学ぶには他のことなどしてはいけない という大学方針があるのだろう。

私もせっかくお金を出して勉強するなら、それぞれ集中してしっかり修得したい。

 

なぜ2年で取らなければいけないか というと。

その非常勤講師はA先生が担っているのだが、2年後に定年退職するので後任を探したいとのこと。

大学が決めた人よりは、A先生の推薦する人に後任になってほしいらしい。

ちなみにB先生はA先生の教え子なのだ。

 

自分が講師になって教えたり、絵やデザインの研究をすることを妄想して、すごくワクワクした。

でも、現実は厳しい。

時間的に無理なこともあるが、学費も結構大変だ。

今の収入状況からすると、はっきり言って無理だ。

通信大学で教員免許を取るくらいならギリギリなんとかできそうだけど。

しかし、通信大学で美術の教員免許を取るにも、ちょっとネックがある。

近隣には美術の免許が取れる通信大学がないので、関東か関西辺りの通信大学に入ることになるだろうが、スクーリングなどで遠征するのにまたお金がかかってしまう。

ちょっと厳しい。

無理して受けても、仕事もがんばらないと暮らしていけないので、そんな状況で勉強できるのか不安がある。

その上、修士課程を2年受けるなんて、到底無理だ。

 

残念だけど、今回はお断りすることにした。

お金で夢を断念するのは良くないとか聞くけど、そんなの現実的ではない。

奨学金を受ける方法もあるけど、今もまだ返還中(猶予を使い切った)なのに、また借金を増やすなんてしたくない。

資格取得後、返還していく算段があればそれでもいいが、改めて非常勤講師の報酬を尋ねたところ・・・

年24万円くらい。

 

そんな端金のために4年と数百万円かけて資格を取るなんて、いくらなんでもおかしい。

 

かといって、お金儲けしたいから講師になりたいわけでもない。

40過ぎて、自分には何もない、今までしてきたことは全部中途半端。

この状況を打破したい。

資格はこれからの人生にきっと役立つ。

教育に携わって意義ある人生にしたい。

教えることが好きだし、大変だけどやりがいがあってきっと楽しいだろう。

絵やデザインについて、本気で取り組めるだろう。

それができるなら、収入は最低限でもいい。

 

しかし、その最低限すらほど遠い。

 

もちろん、その非常勤講師だけでやっていけるとは最初から思っていない。

他の大学や中高で講師を掛け持ちしたり、今のようなデザインの仕事も並行して、やっとやっていけるのだろう。

B先生の同僚にも実際にそういう人がいるそうだ。

複数の学校で週5日以上勤務しているらしい。

すごいな・・・

 

美術講師は需要が少ないだろうから、やりたくても空きがないこともあるだろう。

資格を取れたとしても、仕事がないこともありうる。

その短大でも、資格を取ったとしても、採用されるかはわからない。

B先生には推薦はできても、採用を決めるなどの権限はない。

 

そのため、大学に選ばれるために、修士と業績が必要になるのだ。

ちなみに普通は短大講師に教員免許は必要ないのだけど、教育系の学科なので最低限教員免許が必要なのだ。

 

・・・今までまったく興味がなかった世界なので、そういう事情を初めて知った。

非常勤講師になるにもいろいろ要求されて大変だ。

もちろん、教員免許や修士がなくても講師にはなれる。

それだけの業績・功績・実績があれば。

私には何もないので、これだけの資格が必要なのだ。

 

・・・そもそも、私には、その短大で非常勤講師になる資格がまったくないよね。。

それがわかった時点で「じゃぁ無理だね」と言ってくれればいいのだが。

「やろうと思えばできる」とやたら励ましてくれるので、ちょっとその気になってしまった。

短大まで出向いて見学をして、話をして、いろんな先生の論文資料までいただいた。

 

断りにくい。。

断るというか、やはり資格がないし、不可能だからできません ということだが。

私は「できません」と言うのがとても嫌いだ。

しかし、できないことは、できないと言うしかない。

 

B先生やA先生も、ああは言ったが無理だろうと思っているだろう。

潔く断りのメールを書こう。

 

しかし、今回、そういう教育の世界を垣間見て、経験のない私でも、お金と時間があれば先生になれる ということを知ったのは良かった。

私の知人や昔の仕事仲間にも、大学や高校で講師をしている人がいる。

自分にできると思えないので興味はなかったけど、少しうらやましいとは思っていた。

でも、まずは、本業でしっかり稼げるようになってからだな。。

もしくは、他の人にはない、これから必要とされる研究をするとか。

 

A先生に言われたことで、なるほどと思ったことがある。

今までしてきたことを捨てるのではなく、活かせば良いのだと。

建築、3DCG、Web、グラフィック・デザイン。

そして絵画。

どれも中途半端なんだけど^^;

 

A先生やB先生は、芸術を一筋に何十年もやっているが、デジタルについてはまったく疎いし、これからできるとも思っていない(A先生談)。

私には、デジタルの知識がある。それを美術と絡ませたり、これからの教育にはデジタルの分野も必要なので、独自の研究テーマを見つければいい と。

まぁ既にそんな人はたくさんいるけれど。

 

A先生やB先生のようになろうとしなくていい。(なれないし)

私のやってきたことで、何かできることを。

 

そうは言っても、まったく自信はないけど。

ちょっと、光が見えてきた…かも?

 

今は無理だけど、教育・研究への道も、自分のペースで近づけていければいいな。

仕事して、お金を貯めて、通信大学。

しばらく、この目標も持ってがんばってみようかな。

 

どうなるかわからないけど。

 

本当、もっとよく考えて効率良く生きればよかった。

やることを一つに決めきれなかったのが原因だろう。

欲張りなのだ。

二兎追う者は一兎も得ず。

 

結婚もそうだ。

この人でいい と決められなかった。

(この人がいい は、あったかもしれないが、残念ながら相手からは選ばれなかったし、行動もしなかった)

 

決めたくなかったんだろう。

どっちつかずで夢見がちなまま、何も決めないでいたかった。

でも、そろそろ決めないと残り時間は少ない。何も成し遂げられない。

 

「私はこういう人だ」とはっきり言えるようになりたい。

A先生やB先生を見て話を聞いて、そう思った。

 

B先生は「A先生に高校時代から習って、とても厳しかった。私の青春は無かった。」と言っていた。

青春を捨ててもやりたいことがあった。

一筋にやってきた。

一つのことを、自分を信じて、コツコツやってきたんだろうな。

 

非常勤講師を20年やって、数年前に突然、今の短大で准教授になったのだ。

とても苦労したそうだ。

そのB先生が「この仕事はいいよ」と言うのだから、私もできることならしたかった。

変わりたかったのもある。

 

でもそんなに簡単にはいかない。

↑これが私の思考パターンで、これが結局ダメなこともわかっている。

 

無理なこと。

やりたいこと。

それを考えたことは、自分にとって良かったと思う。

 

私は、今はまだ、デザインの仕事をしたい。

まだ全然できていないから。

人に教えることができるくらい、たくさん仕事をしたい。

そんな気持ちも湧いてきた。

やれるかは別として。。