40で生まれ変わる

40才からの楽で気ままな生き方を模索するブログ

サイアクの新年。

日が経つのが早い。

 

こないだ、ガッコウが終了したと思ったら、すぐ正月が来て、一般的にUターンラッシュの頃に帰省して、連休初めに戻ってきました。

 

帰省は時期をずらして、平日のんびり移動をしたかったのですが、行きも帰りも混んでいました。

帰りは、連休に他県へ遊びに行くギャルたちや、ライブ遠征のおばさまたちなど、とにかく女性が多かったです。非常に楽しそう。

私はというと、帰省中に母の地雷を踏んで険悪になってしまったので、予定より早く戻ることに。気持ちは少し落ちていました。

その上、移動疲れ、時間のロス、帰るんじゃなかった・・・と後悔しました。

母も元気そうだし、もう2,3年は帰省しなくてもよいかな・・・。

 

最近は、母が高齢者の域に達してきたこともあり、いたわりの気持ちと、母が以前よりも優しく丸くなったような気がして、帰省すると癒されていたのですが。。

母の心もすさんでいたようで、親戚のグチやら、去年孤独死した母兄の話の詳細やらを矢継ぎ早に話され、うんざりした私は「その話は聞きたくないな~!」とつい言ってしまいました。

「なんで??」と問われ、あまり考えもせずに「私はその人(母兄)に会ったことないし、どうでもいい!子供たちにそう(死んで発見されたのに「私たちには関係ないから連絡しないでくれ」と…)言われたのもわかるわ。私の父さん(幼少期に離別)がそうなったとしてもどうでもいい!」と、言い放ってしまいました。

あ、、と思ったと同時に、母は急にだんまりとなって、歯を磨き、不貞寝してしまいました。

 

・・・子供かよ。

 

そう。私の母は、昔からこんな感じで、不機嫌になるとまるで子供みたいな行動をするのです。

私が中高生の頃は、子供と喧嘩しているみたいで、母のことが理解できず、嫌いでした。

 

毒親 とまではいかないけど、どっちかいうとそっちかな。。

 

私も悪かったんですけどね。

聞くに堪えなかったのです。以前にも電話で聞かされてうんざりしながら聞いていましたが。この話が延々と続くかと思うと耐えられませんでした。

 

話を聞いてあげることくらいしかできないのに。。

 

いろいろ観光したり、ごはんでも食べに行こうと思っていたけど、予定変更。

翌日「今日帰るね」と帰ることにしました。

 

家を出る前に「交通費」と言ってお金をくれました。受け取らなかったけど何度も「はい」って出してくるのでもらいました。

駅まで見送りしてくれましたが、口数は少なく。

ちょっと気まずそうにお互い手を振ってお別れ。

 

母の作ったごはんを食べに行っただけか・・・。

何してんだ、私。

それに、また以前のように、母のことを嫌いになってしまった。

 

戻ってからは疲れがどっと出て、14時間も寝てしまいました。

目は何度も覚めるのに夢が楽しくて3度寝、4度寝・・・。

現実逃避。

 

新年早々、気分がどーんと落ち込むのでした。。

 

そして話す相手もいない。

一人って本当に、もう、うんざり。

寂しいとかそんなんじゃなく、人としてダメになる。

一緒にいてくれる相手がいないとヤバイ

(母も一人だから・・・)

 

相手がいなければ、、猫を飼うしか・・・!それなら引越しをしなきゃ!

そうならないためにも、今年は、相手探しもがんばろう・・・(自信ない)。

 

悲壮感、焦燥感あふれる新年です。