40で生まれ変わる

40才からの楽で気ままな生き方を模索するブログ

違う世界を垣間見る。

2年前。(前置き …読み飛ばしてもOKです)

 

仕事を辞めてから、再就職をしないまま、だいぶ時間が経っていた。

辞めたといっても、契約終了(プロジェクト契約)で なので、自ら辞めたわけではない。

できれば、その会社で仕事を続けたかったけど、募集していないから ということで。

「不定期でいいなら、業務委託で」という話も来たけど、

「それでは生活がままならないから」と断った。

 

雇用保険加入期間は半年ほどで、1年に満たなかったけど、

会社都合退職(※1)なので、待機期間もなく、すぐに失業給付をもらえた

 

※1:契約終了時に「正社員になりたい」と会社に伝えて、会社が拒否した場合、

  「やむを得ない退職・会社都合の退職」と判断される。

 

今思うと、それが、逃げ体質(本職から逃げてパート・バイトをする)になる

きっかけだった・・・

 

その頃は、40手前で、CGの仕事にも自信がなくなっていた。

就活しても、年で落とされるのがオチだと思い込んでいた。

ポートフォリオも、今のような、説得力のあるものではなかった。

 

それなのに、自分には「CGの仕事しかない!」と思い込んでいた。

 

CGの仕事は、あるCG職人が言ったように、「CGの部品屋」でしかない。

自分でデザインするものではない。

発注があったとおりのものを、CGで再現して納品するに過ぎない。

 

映画やゲームなど大規模になってくると、企画、制作で分かれて、

制作はさらに分業し、それぞれが部品を作って、全体を作り上げる。

 

もちろん、自らデザインして作り上げて、作品として堂々と見せる人もいる。

CMを企画段階から最後まで作るなど、一人、またはチームで作り上げる場合。

規模は小さく、納期は短い

 

建築の世界と似ている。

 

独立して一から最後までデザインする人は、個人住宅(小規模な仕事)を請け負うこと

が多い。

有名建築家となれば、コンペで大規模な仕事もすることもあるだろうけど、

それだって、実際に細かい設計デザインは、数人~大勢の下っ端が担当する。

大手建設会社なんかは、それこそ部品屋の集まりだ。

 

・・・と、ちょっと話がそれてきたけど。

 

CGで、一からデザインするとなると、

指名されて、全任せされるくらいの、実績のある有名アーティストか、

自主制作の映像作家 くらいのものかと。

 

それは理想ではあるけど、現実的に、今の私には、多分、今後の私にも、ムリだ。

 

CGの仕事をしてきても、デザインをしてきた とは言えない。

デザイナーがデザインした絵を元に、3DCGで再現する部品屋に過ぎない。

 

そもそも、、、

私は、CG映像作品が、あまり好きではない。

実写に勝るものはない。

映画も実写しか観たいと思えない。(一応はCG映画も観るけど)

 

なんでCGの仕事なんか・・・?

 

昔は、夢があったから・・・かな(笑)

 

CGで、自分が思い描く世界を作りたい。

子供が見て、いつまでも心に残るような、励まされるような、

映像作品を作りたい。

 

そんな感じかな。

 

今でも、それは、ないこともない。

けど、それは、ほぼ、仕事ではできない。

自主制作の範囲だ。

 

そういう子供向けショートムービーは、仕事として少ないし、あってもとても安価なのだ。

N○Kの仕事(みんなのうた とか)なんて、本当に安いらしい。

だから、やりたがる人・会社は少ないらしい。

 

夢がない。

 

だからって、やらなかったのは、自分の弱さだけど。

 

もう今では、CGで作りたいものも、ない気がする。

もうCGはいいかな…と思うようになった。

 

第一、作るのに、膨大な時間と手間がかかる。

一人で作り上げるとしたら、1~数年かかってしまう。

実際、それくらいかけて、作りたいものを作る作家もいるが。

仕事として成り立つだろうか?

 

そういうことをずっと考えていた。

 

 

 

・・・話は、無職のときに戻る。(ここからが本題)

 

そのうち、貯金が底をつき、なんでもいいから、

すぐにお金を稼がないと、生活費がなくなる!

 

となって、とりあえず、バイトをすることにした。

 

CGの仕事も探したけど、自信もなかったし、選ぶ時間も余裕もなかった。

 

Web系の簡単な仕事も受けてみたけど、

そのときはまだWebをまったく習得していなかったので、

面接には行っても、まったく受からなかった。

学歴やCGの経験なんて何の役にも立たなかった。

 

 

 

某ケーキ屋の短期バイト

 

仕事が決まらないので、適当に探して目に付いたケーキ屋のバイトに応募した。

クリスマス前~年末の、繁忙期だけの仕事。

「ケーキにイチゴを乗せる程度の仕事」とあった。

冬休みの高校生、主婦、誰でも受かるバイトだったので、私でも受かった。

 

そこは、今まで経験したことのない世界だった。

 

「パートのおばさん」というイキモノを、初めて知った。

客としてなら接したことはあるだろう。

でも、職場で同じ立場としてのそれは・・・恐ろしい怪物だった。

 

ボスみたいな人がいて、傍若無人に、我が物顔で、猛威を振るうのだ。

本当に恐ろしかった。

 

私も結構ふてぶてしい方だと思っていたけど、

とても太刀打ちできる相手ではなかった。

もう、こっちが悪くなくたって謝る、従うしかないのだ。

今までのどんな上司よりも、無敵で、恐ろしい存在だった。

 

かといって、何を言われたところで、そのときは「怖い」と思っても、

落ち込むようなことはなかった。

相手は無学で、言うことも滅茶苦茶で、ただ、異様な威圧感だけの存在だった。

何を言われたかなんて、覚えてもいない。

猛獣に襲われるような感覚だ。

 

ケーキ屋の裏方の仕事は、難しいことはないけれど、

スピード重視なので、慣れないうちは、役立たずの厄介者扱いをされる。

50、60のオバサンであっても、長年続けているので、早いのだ。

 

大量のイチゴを扱いながら瞬時に腐ったイチゴを見分ける目、

しゃべりながら、見ないでもできるくらいの、体が覚えているヘタ取りの速さ、

一発で適量をすくい上げる クリームの計量技術、

何度もしたからこそ編み出した ケーキ箱の組み立てと積み重ね技術、

・・・。

 

いや、もう、ばかばかしいくらいの、

そこ以外ではまったく役に立たない、単純作業なんだが。

 

それは立派な手に職なのだ。

 

そして、一番重要なスキルは、

ボスババアにマウンティングされない、目をつけられない空気感。と、年齢。

(ボスババアより年上なら良い)

 

私と同じく短期のバイト(ほとんどが高校生で若い)は、

そんな技術も身につけないまま、あっという間に、お役ご免。

 

あんなところで、長年続けられるパートのおばさんって、すごいなぁ・・・と思った。

私にはムリ

 

違う国・世界にいたかのような気分だった。

今思い出しても、「あれは現実?」とすら思う。

 

 

 

クリーニング屋でバイト

 

そして、年明けからは、近所のクリーニング屋でバイトをした。

年末に面接を受けて、その場で受かった。

大卒は私だけだったので、店長が喜んでいた。

 

仕事は、最初は覚えることが意外と多くて、メモを取るのが大変だった。

客として見てたときは、のんびりしていて、誰でもできるような、

すごく簡単そうに見えたのだけど。(慣れれば簡単)

 

初めてのレジ打ち。

お金の取り扱い。

最初と最後に、お金を集計する。

そこが一番神経を使った。

 

お客が来たら、衣類を預かるか、渡すか。

預かるときは、素早く欠損箇所や汚れがないかを見て、

あればあらかじめ確認を取っておく。

 

商品を見極めて、レジに打ち込む。

シャツとブラウスは値段が微妙に違ってたり。

スーツは上下なのか、別物なのかでも値段が違う。

厄介なのは飾り物が付いていたり、合皮のもの。

無くなったり、ボロボロになることがある。

 

たまに、クレームを入れてくる客もいる。

 

週一くらいで来る40代と思われるサラリーマン風男性

Yシャツは、機械仕上げの100円

手仕上げの500円のものがあるのだが、

100円で頼んだもので、「襟がきれいにアイロンできていない」というのだ。

 

「再度、無料でやり直しますので」ということで預かり、

それを見ても、「まただ」と納得しない。

 

「100円は機械仕上げなので、これ以上完璧にはできません。

 500円なら手で仕上げるので、ご満足いただけるかと。」

と言うと、「じゃぁいいです」と不満そうに帰っていった。

 

それ以外は、さほど、変な客には当たらず、まぁなんとかこなしていた。

 

パートは私を入れて4人。

見習いのときは二人体制だったけど、

3週間目辺りから、一人でするようになった。

 

だから、恐ろしいパートおばさん、ボス的な人は、特にはいなかった。

嫌な感じの人3人中2人いた。

そのうち一人は、私の引継ぎでもあった大学生だった。

女子大生とは思えない、おばさんぽい、貫禄があった。

大学を卒業するので辞めるとのことで、その後釜が私だった。

4年間も続けたそうで、さすがにベテランの域で、完璧にこなしていた。

けれど、性格は悪かった

明らかな嫌がらせとかはないけど、イヤミで、ずるいところがあった。

私がいるときは裏でサボってたり。

 

 

家から徒歩4分ほどで、通勤が超楽だったのでよかったが、

そこの店長(家族経営)がせこい男だった。

 

細かい罰則(遅刻とか)みたいなものがあって、

元々安い時給をさらに減らすルールが壁に堂々と貼られていた。

内容は忘れたけど、それは明らかに違法なものだった。

写真に撮っておいた。

 

また、タイムカードがあるのだが、1ヶ月の時間数を集計するときに、

「30分未満は切り捨て」だと判明した(出社・退社それぞれにおいて)。

切り捨てた分だけで7千円くらいになった。

パートみんな「そういう計算をする決まりだ」と言っている。

こいつらバカかと思った。

 

「これは違法だ。1分単位で支払うべきだ、法律でも決まっている」と条項を示し、

「今回はちゃんと支払って下さい。今後改めないなら、辞めます。」

告げると、「辞めてください」とのことで、1ヶ月で辞めることになった。

給料はこちらが示した時間計算で支払われた。

 

実は、もう辞めたかったので、あえて「辞めます」と付け加えた。

辞めてしまえば、改めてもらわなくてもいいので、給料さえちゃんと支払われれば、

その後もまた、30分単位の計算を続けようが、正直どうでもよかった。

多分、他の人の給料は、今までどおり、30分単位切り捨てなんだろう。

 

パート仲間に理由を話すと納得していた。

実はみんな前から辞めたかったって。

以前に4人いっぺんに辞めたこともあって、よくあるらしい。

それでも改善されてないとか・・・しぶといというか、確信犯というか。

多分、入って1ヶ月弱で言った私は、最短だろう。

 

一応、みんなにも話したのだが、

「おかしいとは思ってだんだけど、そうなのねぇ。」

とは言いつつも、抗議はしてないようだった。

多少、損はしても、今すぐ仕事を失うことはできない

という主婦の事情があるらしい。

 

やっと覚えた仕事だったけど、1ヶ月で辞めてしまった。

 

 

それからしばし、本命の就活をした。

けれど、うまくいかなかった。

 

 

 

某ニ○リでパート

 

それからまたバイト探しをした。

ちょうど募集をしていた、某ニ○リに応募し、面接に行った。

わりと人気のバイトのようで、空きがあれば随時募集があるらしい。

 

しかし、面接に行ったとき、約束の時間に行ったにも関わらず、45分も待たされた

忘れられたのかと思い、レジのパートさんに聞いても、「待て」としか言われない。

一切、謝りもされない。そりゃ、パートさんは悪くはないが。。愛想が悪いな。

思えば、そのときに「怖そう」と思ったパートの一人が、最強ボスだった。 

 

ここもまた、パートおばさんの世界だった。

ケーキ屋よりは幾分マシだった。

若い人や男性も多かった。

大体は、30~40代の主婦だった。

 

そこにも、恐ろしいボスがいた。

従業員が多いのと、ボスとはフロアも担当も違うので、そんなには被害はなかった。

 

顔も名前も覚え合っていないけれど、私は、そのボスババアに、目をつけられていた

 

服装に規定があって、エプロンとポロシャツは貸与があるのだが、

ズボンと靴は、自前で、色や種類に規定があった。

靴はスニーカーじゃないとダメなんだが、

持っていなかったので、ローファーを履いていた。

 

それがボスの目に入ると、すぐさま近づいてきて、ギッと睨まれ「靴!」と怒られる

 

それでも、私は靴を変えなかった。

なるべくボスの目に入らないように、警戒しながら動いていた。

靴を買えばいいのだが^^;

なんとなく、仕事用に自腹を切るのがイヤだったのだ。

 

そこでの仕事は、最初はちょっと楽しかった。

展示フロアの担当だった。

テーマごとの部屋に見立てた展示スペースで、商品をレイアウトするのが主な仕事だった。

 

本社の社員がレイアウトした図面を元に、

商品を売場やバックヤードから持ってきて(あらかじめ用意されていることが多い)

値札をつけて、指定どおりの場所に置く。

開店前は掃除をする。

客が動かしたり汚したら直す。

 

3年続けている先輩と私の二人でやっていた。(そのうち、もう一人増えた)

その先輩はとても優しくて、話も合う人だった。

 

その仕事だけだったらわりと楽しくて楽だったけど、

そのうち、接客と、クロージングもするようにと言われた。

接客のないバックヤードを希望していたのに・・・

 

家具フロアだったので、家具、特にベッドやダイニングテーブルなどの

相談や質問を受けることが多かった。

客に呼び止められて聞かれる程度なら、まぁなんとか。

でもベッドは知識がないままだったので、ベッド担当のおじさんに預けることも多かった。

なぜか、ベッド担当は高齢のおじさんが多かった

昔からの社員だった人かもしれない。

 

クロージングは間違いがあってはいけないし、手順が細かくあったので、難しかった。

お金を扱うことはないので、まだいいけど。

 

この接客とクロージングがどうにも苦手で、そのうち、辞めることにした。

春に始めて夏に辞めた。4ヶ月ほどだった。

社保加入の有無に関わらず全員受ける健康診断があったが、受ける前に辞めた。

 

面接・採用してくれた副店長は感じのいい人で好きだったけど、

他県の店舗に異動になったので、辞めやすくなった。

次の副店長はほとんど面識もないまま、まったく引き止められることもなく、

あっさりと辞めることができた。

 

パート・バイトは、辞める人は多い。入替りが激しい。

半年契約で、半年ごとに更新なのだが、大体は半年で辞めるようだ。

 

せっかくいろいろ教えてくれた先輩には、悪い気がした。

辞めることを言ったとき、ショックだったようだ。

すまぬ・・・

 

そのときは、求職者支援訓練校(Web)にも通っていて、

昼からの授業だったので、並行してパートをしていた。

だけど、さすがに、両立はしんどくて、

Webの勉強もしっかりしたいのもあり、パートは辞めた。

支援で月10万円もらえたので、とりあえず生活できるのもあり。

 

 * * *

 

パートの世界を3つ、垣間見た。

それぞれ、独特の世界だった。

 

パートは、パートが指導するので、役職者や社員と直接接することは少ない。

ベテランのパート・ボスの天下だ。

 

私が思うに、少人数の職場の方が楽だ。

 

大手など、大勢のパートがいる職場は、恐ろしいボスがいて、精神的にきついことが多い。

さらには、中ボス、小ボスもいて、逃げ場がない。

 

ただ、給料や福利厚生の面では、大手はちゃんと法を遵守しているので

安心感があり、そこで悩まされることはない。

 

家族経営や小さい店だと、勝手なマイルールで違法な会社もあるので、

そんなときは、労基に報告しよう。

もらうものをちゃんともらって辞めるなら、面倒なのでそこまではしないでもいいが。

法律でもって抗議すれば、違法会社でも従うことが多い。

 

 

パート従業員に、大卒はほとんどいない。

(主婦では、いることもあると思う。)

 

学歴は人柄とは関係ないけれど、

意識や、知識、視野など、やっぱり、世界が違う と思う。

話が通じない。

母も高卒だが、同じ感じだ。

それが、いいとか悪いとかいうことではない。

「違う」「異質」なのだ。

 

パートで仕事をしていると、

「ここにいてはいけない」という焦燥感にかられる。

大体2~3週間で「辞めたい、辞めなくては!」と思うようになる。

そして1ヶ月~数ヶ月で辞める。

 

 

「こんな安い給料で、時間を費やしてはいけない」

「このまま続けても、これ以上、得るものはない。目標なんて永遠にない。」

「せいぜい現状維持が関の山。このままいても、何も良くならない。」

「思考停止に陥る」

 

そんな気がしてくるし、実際そうだ。

 

もちろん、ちゃんと目的があってしている人がほとんどだから、

続けることに意義があるパートさんも多いだろう。

立派に家計を支えている人も多いだろう。

 

主婦が多いのも納得だ。

むしろ、辞めたくても辞められない家庭の事情がある主婦の方が、

長く真面目に続けられるものだ。

 

私には、ムリだ。

仕事内容よりも、パートの世界の状況に耐えられない。

 

 

でも、つい、パートをしたくなる

 

未経験でもできる、好きな時間にできる、誰でも採用される、その手軽さ。

いろんな職種があり、いろんな体験ができ、新しいことを覚えることのおもしろさ。

代わりはいくらでもいるので、さほど責任も重くない、休みやすい。

イヤになったらすぐ辞められる気軽さ。

常に需要がある。

 

パートにはパートのメリットもある。

 

でも、やっぱり、そこに根を下ろすことは、できない。

 

 

バイトもたまにはいいものだ。

でも、長く続けるものではない。

あくまで繋ぎだ。

 

そろそろ、バイトしのぎは、卒業したいものだ。

(懲りずにまた、とりあえずのバイトをしてしまう可能性大。)